落ちていた寿司(スタイリスト私物)

洋服の事がほとんど。 Opinions are my own.

若者は古着を買った方がいい

 

 

ある日復刻版のlevis 506xx1stを着ていたとき、やっぱり復刻版じゃなくて本物が欲しいな、という話をしたら別に復刻版でいいじゃん、と言われた。ヴィンテージって何がいいの?汚いじゃん、とも言われた。

 

 

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今はもう手放したのでいい写真がなかった。ジャケットはlevis506xx、チノパンはTraditional Weatherwear、シューズはトリッカーズ。

 

自分はバイヤーのような知識こそないけれど、古着がまあまあ好きだし、古着を買うことはある程度合理性が担保されていると考えている。

 

今でこそ、そこまで古着に手を伸ばすことはなくなってしまったが、当記事では特に若者が古着を着た方がいい理由について書きたいと思う。

 

 

たしかに、前述の友人が言うことはごもっともで、たしかにヴィンテージなんか興味がない人からすればただの古い服である。

 

にも関わらず、古着とヴィンテージの枠組みを取っ払っても「生産からかなり経年していたり、もしくは一度誰かの手に渡って市場に戻ってきた」といった広義的な意味での古着を手に取る人は非常に多い。

 

 

前述の通り広義的な古着は大きく二つに分けることができ、一つは由緒があり、古くて価値の高いヴィンテージ。

もう一つは、過去に着用されたことのある服飾品が回収され、古着業者により分別や選別がなされて製品化され、再び市場に出回ったいわゆる古着。これにはブランド古着も含まれる。(出典はウィキペディア)

 

冒頭のように広義的な古着を買うのを避けることの合理性は理解されている。(汚い、古い、場合によっては新品より高い。etc.)

 

 

ではその点、それぞれ古着、ヴィンテージを買うことの魅力、合理性はどこにあるのだろうか。両方に言えること、それは端的にコストパフォーマンスだ。

 

 

いわゆる古着を買うことについての合理性を示すのは簡単で、これは単純にコストパフォーマンスが良い。ブランド価値の付かないセカンドハンドであれば、場所を探せば大量に安く仕入れることができる。

高級なブランド物の古着(ヴィンテージ価値の付かないものに限る)であれば、状態を考慮しても新品で買うよりかなり安く手に入るはずだ。

 

学生などのお金がなくてもファッションを楽しみたい人たちには非常にありがたい話で、単純に質の良し悪しを問わず膨大な量の洋服と触れ合うことができる。

 

自分は、この「たくさんの洋服と触れ合うこと」こそが若者がファッションセンスを培い自らのスタイルを確立する上で最も重要なことではないかと思う。

 

ユニクロファストファッションには(現状)もたらすことのできない、アクのある洋服を着こなし自分のパーソナリティの一部に溶かし込んで行くことによるスタイルの確立や、憧れのブランドの洋服を身に纏ったときの謂れもないような高揚感といったものを、若者は古着というシステムを利用することによって安価で、手軽に体感することができる。

 

こうした経験を通じて洋服やスタイルに関して成熟した観点を若者は培い、最終的な終着地点を目指して青春を駆け抜けて行く。あくまでベーシックを売り続けるユニクロや無印を買うことでは得られない教養がそこにはある。(最終的な着地点が無印やユニクロの人ももちろん存在するとは思うが。)

古着やセカンドハンドを通じて、若者は所謂「いい歳して何を着ていいかわからない大人」にならないための教養を身につけるのである。

 

憧れのラグジュアリーブランドや癖のあるデザイナーズブランドをプロパーで買うのは常識的に考えて学生には難しい話だと思う。そう考えると、古着やセカンドハンドのブランド物を買うことは、それに対して得られるリターンとしての上記のような教養をプロパー買いと同様に得られると考えれば非常にコストパフォーマンスは高いと言える。

 

 

 

ではヴィンテージについてはどうだろうか。

ヴィンテージの魅力については理解できない、という人がかなり多い。なんで古いのに新品より高いんだよ、、、というごもっともすぎる理由からである。

 

ヴィンテージの魅力はまさに「ロマン」にあると思う。厳しい気候を乗り越えるために北欧の軍隊が施したディテール、幾多の人の手に渡り、それぞれの生活がありありと蘇るようなダメージ、そういったロマンこそがヴィンテージの最大の魅力である。

 

冒頭でヴィンテージはコストパフォーマンスが高い、といった書き方をしたが、もっと正しく表現するとすれば最早、金以外にヴィンテージの持つ魅力を手に入れる術が無いのである。

 

ヴィンテージを買うということは時間の経過を買うということだと思う。

ヴィンテージ・デニムを例にとって言えば、1940年代に生産されたものがかっこいいと感じてしまえば、その70余年もの経年変化はその風合いを忠実に再現できる術はほぼ皆無である上、そもそも新品で買った1本のデニムを半世紀以上も履き続けていられるかと言われればかなり非現実的なことになってくる上に希少性も高くなってくる。

そういった観点から、ヴィンテージが高い値段になってしまうのは合理性があると考えられる。

 

 

これに付随して、自分が若者こそがヴィンテージを手に取るべきだと主張する理由だが、それはまだスタイルが成熟しきっていない若者は、ヴィンテージピースの持つ圧倒的な世界観にインスタントに染まることができる唯一の世代であるからだ。

 

ヴィンテージピースにはそれぞれ、現代の自分の手に渡ってくるまでに壮大なストーリーがある。

 

あるlevis501は1960年代のアメリカのとあるポップアーティストに愛用され、カラフルな絵の具が付着したものであるかもしれない。

ある英国産のニットはハンターに愛用され、独自に肩と肘にレザーパッチが施されているものかもしれない。

 

そういった自分とは全くかけ離れた誰かの生活、ストーリーが色濃く反映されている、それがヴィンテージピースである。これはラグジュアリーブランドなどには持てない魅力である。

 

自らのスタイル、世界観がまだ未成熟な若者はヴィンテージピースが持つこういった強烈な世界観を素直に、かつインスタントに吸収することができる。

ある程度感性が成熟してスタイルが確率してしまうと、最早ヴィンテージの世界観にどっぷりと浸かりヴィンテージしか似合わない大人か、自分が作り上げたスタイルがヴィンテージの強い世界観と喧嘩してしまう大人の二択しか残されていないように思える。

ヴィンテージの持つストーリーや世界観を、ある意味無垢な状態で享受し、過去のオーナーに想いを馳せつつ、ヴィンテージ以外のスタイルも同様に無垢に摘むことができるのは感性が未成熟な若者の特権と言える。

 

 

 

上記が自分が若者に古着を是非手にとって欲しいと考える理由だ。

 

自分のスタイルを確立する上で古着が教えてくれることは非常に多い。奇抜な古着を着まくっていた時期が黒歴史になったっていい。1人でも多くの若者が古着を手に取ることの合理性を理解し、多くの洋服を手にとって欲しい。その洋服たちが与えてくれる教訓は、若者たちを「ダサい大人」にならないように指南してくれるはずだ。若者よ、古着を着よう。(衛生的な観点から言ってクリーニングはしっかりとしよう。)

 

 

 

 

 

 

(上記で語ったように自分はヴィンテージがもつストーリー性や世界観が非常に好きなのですが、そう言った意味でsurr by lailaさんのミリタリーアイテムのセレクトには非常にフェティシズムを感じるわけですね。お店は常連さんが居座り居心地はあまり良くなかったですが…。)