落ちていた寿司(スタイリスト私物)

洋服の事がほとんど。 Opinions are my own.

デムナ・ヴァサリアの壮大な皮肉

【ルック】「ヴェトモン」2017-18年秋冬パリ・コレクション

wwdjapan.com/374293

 

自分は理屈ぽい方なので、気になるランウェイのブランドがあるとああでもない、こうでもないと勝手に憶測を飛ばしてしまう。ファッションジャーナリストの真似事。

 

この2017awのヴェトモンのランウェイをみて抱いたのはヴェトモン難解過ぎるな、という感想。デムナはよく「普通じゃない普通を造る」とか言われる事があるが、このランウェイに関しては洋服のデザイン的な意味で言えば本当に良さがどこにあるのかわからない。

 

ヴェトモンとバレンシアガでのデムナの仕事は、コンセプト的な面について言えばこうもかと思うほどに違うように見えるが、深い根底の部分では共通点がある。

 

バレンシアガでもヴェトモンでも、ユニフォームや制服に近い外部からのパワーによる統一感、そしてその統一性の中に不快ともとれる違和感を付け足してくる。バレンシアガでのデビューランウェイでみせたパワーショルダーのように。

 

このランウェイはデムナの作るパラレルワールドにいるような感じがするけど、途中途中に「普通」っぽいのが来るから違和感を感じてるこっちが間違えているかのような錯覚に陥る。

この辺はもう本当、ニューヨークの適当な街並みを切り取ったような感じ

 

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けど途中に挟まれるこの非人間感というか、ここまで来ると世界観をあえて壊してるというか、世界観が存在しない世界観というか。

 

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ヴェトモンはランウェイの空気感が社会風刺的だと揶揄されることが多々ある。実際最近のランウェイでは父親の休日と題打ったコレクションを発表したり、上の写真のような町並みをただ切り取っただけのスタイリングのモデルを歩かせたりする。VOGUEのインタビューでもデムナはソ連で幼少期を過ごした背景から制服そのものが内包する意味やパワーについて語っている。

 

デムナが社会風刺的な意味合いをクリエイションに持たせているという意見には自分も賛成する。でも実は、デムナの皮肉はランウェイ上で視覚的に行われる簡易的なものなんかじゃなく、実際は8万のeast pacのコラボバックパックとか、13万の踵に文字入れただけのchurch'sのコラボを消費者が買うまでの流れ全てを含めてデムナの強烈な皮肉だと自分は思う。

 

デムナのヴェトモンの服は確かにディテールにも力が入っているのはわかるけど、それを踏まえた上でどデカイロゴを入れたり、節操がないほどに有名ブランドとコラボすることで「お前ら本当にファッションわかってるのか?この服の価値わかるか?」っていう強烈に皮肉で挑戦的な問いを消費者に投げ掛けている。

デムナ(とその兄弟)はファッションブランド経営において、現代で最も上手くやってる人物のうちの一人だと思う。コラボ戦略だってその優秀な経営方針の一部だ。それを含めてデムナは自身のクリエイションと販売を通してファッションという芸術性から切っても切り離せない文化に張り付く人たちに対して、冷たい程に資本主義的な手法でファンを形成していく。そういう皮肉だ。

 

ただ、もしデムナのクリエイションが消費者が買うまでのプロセスを含めたいまのファッショントレンドに対する壮大な皮肉だという自分の仮説が合っていたとしたら、デムナの作る難解なランウェイすらもメッセージなど最初からない「ランウェイを見て色々私見をいうファッション分析・俯瞰層」への皮肉かもしれない。

 

意外とデムナの服作りへは消費者的立場からは「よくわかんないです」っていう正直な感想が最適解なのかもしれない。